<暮らしと文化>
今につながる-暮らしに根付いた文化
相良氏による700年の統治は、建造物や仏像だけではありません。人吉球磨地域の今現在の暮らしや風習、文化にも大きく影響しています。
特に球磨焼酎―。スコッチやシャンパンのように、WTOの「地理的表示の産地指定」を受け、球磨という地域の名前を冠にすることが世界的に認められました。お米が貴重であった時代から、地域で愛され飲まれてきました。貴重であったお米をお酒にかえることができたのは、豊かな米どころの証拠です。その背景には、農業用水の整備、球磨川を利用した水運により経済を活性化させたことがあげられます。
さらに、酒の席での民謡、ウンスンカルタの遊び、じゃんけんのルーツといわれる球磨拳といった歌や遊びが今に伝わります。
相良三十三観音も人吉球磨に息づく文化の一つ。人吉球磨地域にある多くの観音堂。それを巡り礼拝する「相良三十三観音めぐり」が誕生したのは、江戸時代のことです。それぞれに御利益がある観音堂を管理しているのは地域の人たちです。平安時代に造像されたものをはじめとして様々な観音様があり、藩主自らが勧請した千手観音や、完成に50年以上を要した六観音など各札所ごとにストーリーも様々です。
日頃から開帳されている札所もありますが、35ヶ所のすべての観音堂が一斉に開かれるのは、春と秋の彼岸のときです。巡礼の人を出迎えてくれるのは、地域の人たちによる「お接待」とよばれるおもてなしです。温かいお茶にホッとし、手づくりのお煮しめや漬物は絶品で、地域の人とのあたたかい交流が生まれます。