久米治頼神社(くめはるよりじんじゃ)

当主に反乱を起こし滅ぼされた相良治頼(はるより)とその母を供養するため、戦国時代に建立された神社です。
相良治頼(はるより)は人吉藩16代当主義滋に仕え、八代の土地を管理していました。優秀で多くの人に信頼され、慕われていましたが、優秀であるがゆえ、相良家の家臣の中に義滋への謀反(国や主君にそむいて兵を挙げること)を治頼にそそのかす者も現れました。
天文14年ついに治頼は40人の部下をつれて、謀反を企てることを決意しました。
しかし、そのことが義滋に知られたために、あらゆる地を移動しましたが、多良木にて、治頼勢は過半数が討死したそうです。その後、転々とし豊後へ移住しますが、天文15年に33歳という若さで亡くなりました。ほどなく義滋も亡くなり、17代当主晴広は治頼とその母の霊を祀らせるため、天文18年に治頼神社を5社造らせました。久米治頼神社は、御霊信仰のもと、逃走先となった久米に建てられた神社です。

【住 所】868-0501 球磨郡多良木町久米古城
【電 話】0966-42-1267(多良木町教育委員会)
【営業時間】
【定休日】
【料 金】
【WEB】
【Wi-Fi】
【駐車場】有り
【最寄の駅・(バス停)】
【その他】

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