百太郎溝と幸野溝(ひゃくたろうみぞとこうのみぞ)

人吉藩の農業生産を向上させた灌漑用水。ともに15kmを越える用水である。百太郎溝の名についている「百太郎」は、球磨川の取水堰建設時の人柱伝説に由来する。幸野溝は、元禄9年(1696)に人吉藩士高橋政重が藩命によって開始。洪水などで工事は難航を極め、最終的に高橋の個人的な努力の甲斐あって宝永2年(1705)に完成した。新田地帯には湯前や多良木、久米、人吉などからの入植者があり東方村ができた。(地図、連絡先は多良木町教育委員会教育振興課)

【住 所】人吉・球磨地方 観音堂
【電 話】0966-23-3080(人吉球磨観光地域づくり協議会)
【営業時間】
【定休日】秋の開帳、春の開帳(お彼岸)に一斉開帳(開帳以外の期間は、各観音堂にて異なる)
【料 金】
【WEB】
【Wi-Fi】
【駐車場】
【最寄の駅・(バス停)】
【その他】

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